川根茶の歩み

   私たちが飲んでいるお茶は、世界の飲み物の中で一番長い
   5.000年の歴史をもっています。中国から渡ってきたと言われています。

   静岡にお茶の栽培が始まったのは、12世紀と言いましから、今から900年前になります。
   1600年ころには、この川根地区でもお茶を年貢(ねんぐ)として納めた記録が

   ありお茶はこの地域の経済を支える貴重な産物になっていました。

   1736年頃には、優良種子による茶樹が大井川上・中流地区に普及して、
   川根茶産地が形成されていったとされています。

   江戸末期(18世紀)になると、茶商によってお茶は江戸に送られ、金銭による                                                          経済行為がおこなわれるようねなり、川根銘茶としての評判がこの時期につくられていきました。

   安政6年(1859)に横浜港が開港されるとお茶は貿易品として取り扱われるようになります。
   さらに明治に入ると、お茶は生糸と並び日本の重要貿易品となり川根茶の生産量は大幅に増加、
   その後も順調に市場を広げ、川根地方は銘茶のふる里として全国に名を知らせるようになって
   いきます。

   明治も末期になりますと製茶の機械化の波が押し寄せて来ますが川根では
   「時期尚早」。つまり川根茶の風味、品質を保ち、これまで育てた
   信頼を裏切らないために、完全な製茶機械が発明されるまではその使用を禁じた

   この勇気ある決断があったからこそ、川根茶の評価は高まって行きました。

   第一次世界大戦のとき、インドから米国への紅茶輸出が困難になり、
   その代替品としてお茶が見直され大量輸出が行われました。

   ところが戦争が終わると紅茶の輸出が再開され、大量のお茶が行き場を失いお茶の価格も暴落しました。

   川根地区ではこの難局を、若芽摘みによる品質の向上や茶栽培の近代化に努めて乗り切って
   行きました。

   この難局を乗り越えることで、川根茶を生産するものに川根茶の思いと、本物を求める気持ちが、
   さらなる品質の追求につながりました。